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SMMA見験楽学ツアー⑫福島美術館と裏道さんぽ—福島禎蔵が愛した土樋・米ケ袋—レポート

ミュージアムスタッフの視点から、仙台・宮城の知られざる魅力を探るツアー企画「SMMA見験楽学ツアー」。第12回は、社会福祉法人共生福祉会 福島美術館 学芸員の尾暮まゆみさんを案内人にお迎えし、「福島美術館と裏道さんぽ—福島禎蔵が愛した土樋・米ケ袋—」を実施しました。

尾暮さんは2年前に開催した第1回SMMA見験楽学ツアー「仙台裏道さんぽ—福島美術館創設者・禎蔵翁の足跡を訪ねて—」の案内人でもあります。美術館の休業を12月に控えた今年、大好評だったツアーを再び実施していただけることになりました。

今回のツアーは、午前中に福祉と文化の両面から昭和の仙台を支えてきた美術館の創設者・福島禎蔵について学び、企画展「福島禎蔵が愛し遺したコレクション」第5期の展覧会を鑑賞します。そして午後は土樋・米ケ袋を散策しながら阿部次郎や、本多光太郎など禎蔵にゆかりのある学者・文化人の足跡を辿る内容となっています。

 
▲ツアーは地下鉄南北線「愛宕橋駅」から出発しました。福島美術館に到着するまでの間にも伊達家ゆかりのお寺「昌伝庵」や、”おにぎりかまぼこ(通称:おにかま)”が美味しい「かま志ん蒲鉾店」など地元ならではの情報を教えていただきました。

 
▲「愛宕橋駅」から歩くこと10分、「福島美術館に到着しました。今回のツアーはなんとお土産付きで、”伊達政宗「鮎貝日傾斎宛書状〈茶の湯の稽古〉」“の絵葉書をいただきました! こちらは、福島美術館の収蔵品の1つで、筆まめな伊達政宗が22歳の頃に書いた手紙を絵葉書にしたものだそうです。

 
▲まずは講話で、福島美術館の歴史とみどころについて教えていただきました。1980年に共生福祉会館(ライフセンター)内に開館した福島美術館。およそ3000点にのぼる収蔵品の多くは、福島家三代(運蔵・與惣五郎・禎蔵)が、地元の文化人や、画家・書家と深く交流を続ける中で蒐集されたものです。中でも、福島禎蔵が戦前戦後の混乱の中で仙台伊達家を支援し、福島家に譲渡されることとなった「仙台藩伊達家旧蔵品」は、江戸時代から昭和戦前にかけての仙台・宮城の美術や文化を語る上でとても貴重な資料です。

 
▲講話の後は、「福島禎蔵が愛し残したコレクション 第5期 遠忌300年 仙台藩4第藩主 伊達綱村と檗宗」を尾暮さんの解説付きで見学しました。江戸時代に中国の僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)によって伝えられた「黄檗宗(おうばくしゅう)」は、日本三禅宗の一つです。難しそうなテーマですが、煎茶やちゃぶ台、インゲン豆など、私達にとって身近な物の由来が黄檗宗と深く関わりのあることを例に上げるなど、親しみやすく解説していただきました。参加者の皆さんも「頂相(ちんそう)」と呼ばれる禅僧の肖像画や、「墨戯(ぼくぎ)」と言われる文人や僧侶が趣味で書いた水墨画を興味深そうに眺めていました。


▲また、仙台藩4代藩主 伊達綱村と黄檗宗との繋がりもご紹介いただきました。仙台領内に開元山萬寿寺や両足山大年寺をはじめとした多くの黄檗寺院を創建した綱村。幼い頃から儒学の教育を受けており、漢詩を嗜んだり、筆談で中国語のやりとりができたりと教養の高い人物だったそうで、尾暮さんの「仙台藩の藩主は、政宗以外にも文化・芸術に通じた魅力的なお殿様がたくさん居るので、そういった方にも目を向けてみて下さいね。」という言葉が印象的でした。

 
▲午前の部を終えると、待ちに待ったお昼です! こちらは長町にある「米工房いわい」さんのお弁当。第1回のツアーでとても好評だったので、今回もぜひにとお願いしました! 噂に違わぬ美味しさと気遣いにお腹も心も満たされたひとときでした。

  
▲午後はいよいよ土樋・米ケ袋の散策です。福島美術館を出て左手に曲がると、禎蔵と交流のあった哲学者・美学者の阿部次郎の邸宅跡が見えてきます。現在は駐車場になっており「阿部次郎旧居跡」という碑が残るばかりですが、駐車場の奥の方へ行くと現存する建物の一部を見ることが出来ます。

 
▲阿部次郎邸宅跡から西に向かって歩くと道はどんどん狭くなります。どこへ向かっているのか不安と期待の中進んで行くと、なんと愛宕橋にたどりつきました。当時は橋の先に阿部次郎の行きつけの喫茶店もあったそうです。まさしく今回のテーマ通り、地元の人に親しまれた「裏道さんぽ」でした。

 
▲土樋通りを西に向かって歩くと、東北学院大学の駐輪場が見えてきます。一見普通の駐輪場ですが、ここはかつて福島禎蔵が学生のために土地を寄付し、学生寮や仏教道場として使用した「道交会館」を建てた場所です。”学生を支援するために、無期限かつ無償で貸し出していた。”というエピソードには、参加者の皆さんからも驚きの声があがりました。こんな事柄らも、福島禎蔵の人となりを感じることができます。

 
▲次に訪れたのは、「阿部次郎記念館」です。阿部次郎記念館は、東北大学 法文学部の教授を務めた阿部次郎が設立した「阿部日本文化研究所」の建物を、没後40周年を期に記念館として開館したものです。記念館では、『三太郎の日記』の草稿や、書簡・日記の他、大学の研究室で実際に使っていた机や椅子など貴重な資料を見ることができます。

 
▲夏目漱石に師事していた阿部次郎。展示ケースの中には漱石から阿部次郎に宛てた書簡が展示されています。記念館の特徴的な「阿部次郎」の字は、この書簡からとったもので、漱石の書体を使用しているそうです。


▲また、記念館の駐車場は国学者・山田孝雄の住居があった場所です。山田孝雄は阿部次郎が「阿部日本文化研究所」を設立する際に尽力するなど深い交流があり、駐車場の一角には山田孝雄と娘の山田みづえの親子句碑が建てられています。

閑静な米ケ袋の住宅街にたたずむ「阿部次郎記念館」。阿部次郎に関わる資料はもちろん、阿部次郎と交流のあった豪華な顔ぶれの文化人たちの資料も見ることが出来ますので、ぜひ足を運んでみて下さい。丁寧に解説いただきましたスタッフの佐々木さん、松倉さんありがとうございました。

 

 
▲次に訪れたのは「阿部次郎記念館」から歩いて数分の距離にある「本多会館」です。「本多会館」は東北大学金属材料研究所の所長を務めた”鉄の神様”本多光太郎の旧邸宅で、敷地内には本多光太郎の胸像や、椅子などの愛用品を見ることが出来る展示室も併設されています。今回は、スペシャルゲストとして、東北大学金属材料研究所佐々木孝彦 副所長にご案内いただきました!

 
▲中に入ってみると外観からは想像できないような木の温かみと、おしゃれな電飾が特徴的な展示室で、参加者の皆さんは、佐々木副所長から語られる本多光太郎の人柄をうかがわせるエピソードの数々に熱心に耳を傾けていました。

こちらの「本多会館 展示室」は、東北大学に問い合わせの上、平日のみ見学可能となっていますが、本多光太郎の遺品や資料をご覧になりたい方は東北大学の片平キャンパスにある東北大学金属材料研究所内の「本多記念館 資料展示室」に展示されておりますので、ぜひそちらもご覧下さい。

 
▲また、今回のツアーでは、普段なかなか中に入ることのない本多光太郎の旧邸宅も見学することができました。本多光太郎が東北大学を辞し、生活の中心を東京に移した後は大学の訪問者宿泊所や職員集会所として利用されていたそうで、中には格式高い調度品が残っています。

  
▲昔ながらの急な階段を上ると、2階は趣のあるたたずまいの和室です。「モナリザ」が日本で公開されることを知らせる昭和48年の新聞などが残され、まるで時間が止まっているかのような不思議な空間でした。
「本多会館」の見学には、事前申込みが必要ですので、東北大学財務課までお問い合わせ下さい。


▲さらに今回はサプライズで『片平の散歩道—金研百年の歩みとともに—』(東北金属材料研究所 編)や、本多光太郎の「今が大切」という色紙をデザインしたトートバッグまでいただいてしまいました! 佐々木副所長、東北大学のみなさん、ありがとうございました!

 
▲最後に訪れたのは「紅久ビル」です。ここは、「八木山」で有名な豪商・八木家の4代目が株式会社「紅久(べにきゅう)」を興し、埋木材を使った建物や庭園を作った場所です。現在も、建物の周辺には、古い門や八木家のお屋敷の一部の石が残されています。普段なら見落としてしまいそうな石なので、「いつも通る道なのに、全く知らなかった!」と笑顔でお話しされる参加者の方もいらっしゃいました。現在は1階に昭和のレトロ感あふれる純喫茶・ベニーが残っていますので、こちらもぜひお立ち寄り下さい。

  
▲その他、道中では「縛り地蔵」や「鹿の子清水」「デフォレスト館」など土樋・米ケ袋の歴史を感じることができるスポットもご案内いただきました。盛りだくさんの内容で福島禎蔵と福島禎蔵が愛した土樋・米ケ袋の魅力を分かりやすく、面白く伝えてくれた尾暮さん、本当にありがとうございました。

福島美術館は、残念ながら平成30年12月22日(土)をもって休業し、建物は老朽化のため解体されてしまいます。現在、最期の展覧会「平成30年 福島美術館から感謝をこめて 福島禎蔵が愛し遺したコレクション 第8期 幸せ願う・めでた掛け」を開催しておりますので、ぜひ足をお運び下さい。


▲当日参加者の皆様にお配りしたしおりです。こちらからダウンロードできますので、ぜひしおりを手に土樋・米ケ袋を巡ってみて下さい。ツアーに参加された皆さま、レポートを読んで下さった皆さまが、歴史豊かな土樋で愛された”街のちいなさ美術館”のこと、そこで働く素敵な学芸員さんのことを、いつでも思い出していただけたら幸いです。

(文:事務局 帖地)

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