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見験楽学ツアー①「仙台裏道さんぽー福島美術館創設者・禎蔵翁の足跡を訪ねてー」レポート

仙台市内外には、私たちの知らない歴史や文化の面白さがまだまだ隠されています。SMMAでは地域の専門家を案内人として、地域の知られざる魅力を探るツアー企画「SMMA見験楽学ツアー」を実施してきました。
今回は10月29日(土)に実施した、SMMA見験楽学ツアーの今年度第一弾、「仙台裏道さんぽー福島美術館創設者・禎蔵翁の足跡を訪ねてー」の様子をお届けします。

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禎蔵翁こと福島禎蔵(1890〜1979)は、江戸時代後期の材木商の成功や仙台の政財界での活躍を通して躍進した福島家に生まれ、七代目の当主として様々な事業を展開した実業家でした。経済・産業の分野に留まらず、福祉や文化にも高い関心を持ち、自らのコレクションも含む3000点もの福島家所蔵の美術工芸品を寄贈することで、社会福祉法人共生福祉会福島美術館を設立しました(画像提供:福島美術館)。


この「仙台裏道さんぽ」では、SMMA参加館のひとつでもある福島美術館の学芸員・尾暮まゆみさんを案内人として、福島美術館の創設者・福島禎蔵と関わりのあった文化人・財界人の足跡を辿りながら土樋・米ヶ袋を散策しました。

 

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ツアー当日は地下鉄南北線五橋駅からスタートしました。最初に到着したのはこちらの「紅久ビル」。紅久(べにきゅう)とは、もともと芭蕉の辻に興された紅小間物屋の名前ですが、興したのは仙台市民におなじみの八木山ベニーランドや八木山動物公園がある「八木山」の持ち主、八木家の初代当主でした。実は土樋にあった福島家の邸宅は、八木家の邸宅とお隣同士だったご縁があるのです。

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現在紅久ビルが建っているのは、八木家四代当主が紅小間物屋から株式会社「紅久」を興した際に、埋木材の屋敷と庭園を作った場所です。ビルの周辺にはいまでも当時の屋敷の敷石らしい石や古い門が残り、またビル一階で営業している喫茶ベニーが昔を偲ばせます。

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紅久ビルを曲がって東北学院大学の敷地に立つデフォレスト館(旧シップル館・2016年度重要文化財指定)を通り過ぎ、とあるマンホールの前で立ち止まる尾暮さん。マンホールの下からはザーーーと水の流れる音が響いてきます。
「この音、下水ではありません。この下を流れているのは「鹿子清水(かのこしみず)」という仙台三清水のひとつです。八木さんは紅久ビルのあたりで味噌醸造業も行っていたそうですが、その土地を選んだのは鹿子清水が流れていたから、とも言われているんですよ」
解説しながら大きな耳が描かれたフリップを掲げる尾暮さん。良く聞いてみて!というその合図に、参加者はしばし涼やかな清水の音に耳を傾けていました。

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清水の音に見送られ坂道を下っていくと、東北大学金属材料研究所の初代所長を務めた本多光太郎(1870〜1954)の旧邸宅、「本多会館」が見えてきます。
本多光太郎は金属学や物理学の世界で様々な業績を残し「鉄の神様」と呼ばれた研究者でしたが、研究の成果を産業に活かしたいと、東洋刃物株式会社の設立を提唱します。東洋刃物は本多の提案に賛同した実業家たちの支援によって無事に設立されるのですが、福島禎蔵も東洋刃物を支援した実業家のひとりでした。

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かつての姿を留めたままの昔ながらの邸宅に、参加者のみなさんは興味津々の様子でした。本多光太郎の邸宅は没後東北大学に寄贈され、研究者の宿泊所としても使われていたそうです。
※館内見学の際には東北大学まで事前の申込が必要です。

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さてこちらは、米ヶ袋にある阿部次郎記念館。もとは阿部次郎(1883〜1959)が東北大学文学部の教授を勤めていた時に、私財を投じて日本文化研究所として建設した建物でした。残念ながら阿部次郎は建設中に病が悪化したため、自身が研究所として利用したことはなかったそうですが、現在では記念館として、阿部次郎の書簡や日記、大学の研究室で使われていた机や椅子など様々な資料を展示しています。ツアー当日は記念館職員・佐藤さつこさんの解説を聞きながら見学しました。

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阿部次郎は、大正・昭和期には学生の青春のバイブルとも言われた『三太郎の日記』の著者として知られていますが、意外なところで福島禎蔵との繋がりを見ることができます。というのも阿部次郎が暮らしていた邸宅の場所は、土樋にあった福島家邸宅の目と鼻の先。さらに阿部次郎の教え子であった佐藤明は、福島家が収集してきた美術工芸品の調査を行い、のちの福島美術館の設立に大きく貢献した美学者でした。福島禎蔵と阿部次郎に直接の交流があったと伝える資料は見つかっていませんが、阿部次郎や妻が詠んだ和歌短冊や下書き原稿などが福島美術館に収められています。土樋・米ヶ袋は仙台の文化を支えた人たちが集まる町でもあったようです。

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▲阿部次郎記念館に飾られている阿部夫妻の写真。背景に映る梅、紫陽花、百日紅といった花々は現在も阿部次郎旧居跡に咲いています。(撮影した写真家・土門拳は阿部次郎と同じ山形県の出身です)

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阿部次郎記念館から来た道を戻り福島美術館へ向かう土樋通りの途中、東北学院大学の大きな駐車場の前を通り過ぎます。ここにはかつて、別の場所にあった老朽化した学生寮の代わりに、福島禎蔵が自らの土地に建設して無償無期限で提供した「道交会館」という建物がありました。2011年の震災の影響で取り壊されましたが、東北大学の学生寮・仏教道場として長きにわたり活用されたそうです。

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道すがら愛宕橋や阿部次郎旧居跡などを見学しつつ、福島美術館に到着です。

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この日の昼食は尾暮さんおすすめのお弁当屋さん「米工房いわい」(太白区長町)のお弁当。机には昭和の仙台の街並みを伝える写真も並べられ、参加者はお弁当をつつきながら、今日の町歩きの振り返りや昔の思い出話に花を咲かせていました。

最後は尾暮さんの解説を聞きながら、福島美術館で開催中の秋季展「旅する絵画〜画家は旅の達人!〜」を見学しました。

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秋季展「旅する絵画〜画家は旅の達人!〜」では、江戸時代から昭和初期に使われていた旅道具のほか、旅の景色や郷土の風景にまつわる絵画や俳句・和歌などが展示されていました。
風景を題材にした絵画には、実際の風景ではなく心象風景を描いた作品もありますが、そこにはその画家ならではの視点が活きています。その一方で、実在した風景を詳細にとらえた絵画は、当時の光景を現代の私たちに伝えてくれます。

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旅の風景に限らず、土地の景色は震災などの災害や土地開発によって刻々と変化していくもの。今回のツアーで訪ねた場所のなかにも、当時の建物の痕跡が残るものもあれば、かつての姿が全く分からないものもありました。「画家がこの時に描かなければ、永遠に失われてしまっていた景色かもしれません。」展示解説のなかで尾暮さんがつぶやいた言葉が印象的でした。

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福島美術館は戦後復興のために婦人・若者の教養の場として設立されたライフセンター(昭和47年建設)を前身としています。尾暮さんによれば、福島禎蔵は福島家の当主が収集してきた美術工芸品のコレクションや、自身が散逸を防ぐために買い取った仙台藩伊達家旧蔵品などを社会に役立てる方法として、美術館設立の構想を持つようになったといいます。
今回のツアーで紹介された様々なエピソードのように、福島禎蔵は産業や文化、学問など、様々な分野の人々に支援の手を差し伸べていた人物でした。また禎蔵をはじめとする土樋・米ヶ袋ゆかりの財界人や文化人が行ってきた支援の数々は、自分の持つ財産を自分の豊かさのためではなく、人々の生活と心の豊かさのために活かそうとしたように思えます。土樋の街並みに隠された物語を自分の足で辿るツアーを終えた参加者からは、「福島禎蔵の懐の深さ、魅力的な人物像をいっそう感じることができました」「仙台には素晴らしい方々がいたのだと知ることができました」といった感想が寄せられました。

 

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今回のレポートで紹介しきれなかったスポットや情報は、参加者に配布した「旅のしおり」に掲載しています。「旅のしおり」を片手に、人の縁(えにし)が隠された土樋・米ヶ袋を歩いてみてください。

 

 

(SMMA事務局・吉田)

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