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SMMA見験楽学ツアー⑧「片平まつりジョイント企画 片平キャンパス歴史散歩」レポート

ミュージアムの専門家の視点から、仙台・宮城の知られざる魅力を探るツアー企画「SMMA見験楽学ツアー」。第8回は、東北大学史料館 准教授の加藤諭先生を案内人にお迎えし、「片平まつり」ジョイント企画として「片平キャンパス歴史散歩」を2017年10月7日(土)に実施しました。

仙台市の中心部に位置する東北大学片平キャンパスは、東北大学発祥の地で、現在は東北大学の研究所や大学本部が置かれています。東北大学としての歴史は1907年に東北帝国大学が創設されたことに始まりますが、前身となる旧制第二高等学校や旧制仙台医学専門学校などが同敷地内に建てられていたこともあり、一見現代的な片平キャンパス地区を観察してみると、長い歴史の跡がここかしこに残されていることに気付かされます。今回のツアーでは、普段なかなか見学することのできない施設や貴重な近代建築を巡りながら、片平キャンパスの歴史を辿りました。

▲こちらが案内人の加藤先生です。

ツアーは東北大学史料館(※ルートマップ①)見学から始まりました。東北大学史料館は、東北大学の歴史に関する資料がたくさん保管されています。今回はその貴重な資料が眠るバックヤード見学からスタートしました。

 

書庫には、過去から現在に渡る学生や研究者の記録が保存されています。貴重資料室には絵や書、古写真などが収蔵されています。ほかにも制服や校内で使われていた看板、女子学寮にあった雛人形なども大切に保管されていました。

こちらは貴重資料室に保管されている日本初の女性大学生に関する文書です。1913年、牧田らくさん(数学科)、黒田チカさん(化学科)、丹下ウメさん(化学科)の3名が入学試験に合格し、日本で初となる女性大学生となりました。写真は、当時の文部省から第二代総長の北條時敬へ送られた文書で、「女子学生が入学すると聞いたが、それは重大な事件だからどういうことか事情を聞かせて欲しい」という内容のものでした。これに対して大学側は回答を先延ばして、女子学生入学を遂行させました。そんな歴史的な資料がいまでも大切に保管されています。

次に展示室へ移動し、展示資料のほか史料館建物についても説明していただきました。

ツアー開催日には、常設展示のほかに企画展示「片平キャンパスの過去・現在・未来」が開催されていました。2017年、片平キャンパスは、歴史的建造物の保全と新しい建造物の調和などキャンパス内の景観作りが評価され「都市景観大賞空間部門特別賞」を受賞しました。また東北大学史料館、東北大学文化財収蔵庫、東北大学本部棟1・3、「魯迅の階段教室」の5つの建物が登録有形文化財へ答申され(東北大学初の出来事)、企画展はこうした出来事を記念して開催されました。

企画展では、たくさんの資料から片平キャンパスの過去の様子を、ドローンを使った映像でキャンパスの現在の姿を、東北大学のキャンパスマスタープランで未来の姿を紹介していました。

(※企画展示「片平キャンパスの過去・現在・未来」は、2月9日(金)まで東北大学附属図書館1階多目的室で巡回展示しています。)

常設展示では「歴史の中の東北大学」「魯迅と東北大学」と題した展示がありました。

ここでツアー参加者の注目を最も集めたのは「歴史の中の東北大学」で展示されている「恩賜の銀時計」。1918年頃まで旧帝国大学では成績優秀者に天皇からの贈呈品として銀の懐中時計を授与していました。銀時計が送られる卒業生は「銀時計組」と呼ばれ、“エリート中のエリート“として出世が早かったと言われています。そういったいわれから「頭が良くなる」「出世が早くなる」といったご利益があるかもしれないと加藤先生に紹介いただき、特別に触らせていただきました。

▲恐る恐る「恩賜の銀時計」を手に取る参加者のみなさん。

次に東北大学史料館の建物についてご紹介いただきました。東北大学史料館は1926年に旧東北帝国大学附属図書館の閲覧室として建設されました。

▲旧東北帝国大学附属図書館の閲覧室として利用されていた頃の写真。

その後、1973年に附属図書館が川内キャンパスへ移転してから手つかずのままでしたが、1986年から記念資料室として、2000年からは東北大学史料館として使用されるようになりました。

展示室内からはその貴重な内観をじっくりと観察できます。柱がなく天井が高い点が特徴的ですが、現在では耐震基準の観点からこのような建物は建設できません。東北大学史料館でも東日本大震災の影響を受け、耐震補強のために壁を厚くする改修工事がされました。このときバックヤードへと続く裏の階段の壁を厚くしたことによって、建設当時の展示室内の雰囲気を現在にまで残すことができました。また展示室内で使用されている電灯には建設当時から使われているものもあるそうです。訪れた際には是非見比べてみてくださいね。

 

▲(左)この形をしている真ん中2つの電灯が建設当時から使われています。(右)この形をした両端の4つの電灯は交換されたものです。

ここで東北大学史料館の見学を終え、片平キャンパス内に点在する歴史的な建物や記念碑を巡ります。

▲残念ながらツアー当日は雨でしたが、雨天がかえって歴史的な建物の雰囲気を引き立たせていたように感じました。

まずは「東北帝国大学理科大学創設の地記念碑」(※②)へ向かいました。かつてこの地には、現在の理学部の前身となる旧東北帝国大学理科大学が建設されていました。理学部の青葉山移転に先立つ1968年、この記念碑が建立されましたが、実は理学部は1945年の仙台大空襲により校舎の大部分を焼失しています。記念碑の材料の一部には焼失した校舎の焼け残りの赤煉瓦と装飾金具を使い、この地に理科大学が置かれていたという歴史を現在に伝えています。

 

▲「東北帝国大学創設の地記念碑」

「東北帝国大学理科大学創設の地記念碑」の前には片平キャンパスを東西につなぐ大通りがあります(下図、黄色線)。この大通りの両端には、法文学部設置を記念して1923年に赤松並木が整備されました(北門から南門をつなぐ大通りには黒松並木が整備されています)。

この大通りを西に進むと見えるのは、東北大学の正門です。正門は普段閉じられていますが、大学総長が退任する時だけ開かれるそうです。

▲総長は退任の際、教職員に見送られながらこの正門を通るそうです。なぜ中心部に近く人通りが多い北側ではなく西側に正門が作られたのか。一説には、仙台城の方向を向いているから…とも。

この正門から南に少し進むと見えてくるのは、「第二高等学校記念苑・蜂章の碑」(※③)です。1889年、この地に旧制第二高等学校の校舎が建設されましたが、戦災による焼失や学制制度の廃止によって東北大学へ包括されたことから、1950年にその歴史に幕を閉じました。その後、同窓会によって校歌碑と蜂章碑が建てられ現在の姿となっています。実は、旧制第二高等学校の門柱も同地に移築されています。片平キャンパスの西側には東北大学の正門と旧制第二高等学校の門柱が設置されているとはあまり知られていないのではないでしょうか。

 

▲移築された門柱もあります。          ▲蜂は旧制第二高等学校の校章でした。

 

続いて向かったのは「文化財収蔵庫」(※④)です。この建物は旧制第二高等学校の書庫として使用されていましたが、法文学部創設に伴い東北大学の所有となり、1925年からは考古学関係の収蔵庫として利用され、現在も約20万点もの資料が収蔵されています。文化財収蔵庫は一般に公開されておらず、残念ながら扉も普段は閉まっているため内部を覗くこともできません。「外観しか見られないなんて、せっかく来たのに残念…」などと思わず、文化財収蔵庫の正面右側を覗いてみてください。ひっそりと移築された台町古墳群の石棺、経の塚古墳の石棺が残されています。

▲震災の影響でひびが入ったようです。修繕のあとが見えます。

▲経の塚古墳の石棺が持ち運ばれたまま、文化財収蔵庫の正面右隣に残されています。

文化財収蔵庫から東北大学史料館の脇を通って次の目的地へ向かいました。ここで東北大学史料館建物の外観について少し触れましょう。東北大学史料館建物の横をよく見てみると、微妙に煉瓦の色が違っているのが分かるでしょうか。

 

1907年の東北大学創設から1926年に図書館が設立されるまで、各学部に図書室が設置されていました。1922年に法文学部が発足したことを機に、たくさんの図書を保管する場所が求められるようになり、各図書室を館としてまとめる動きが出ました。そうして図書館(現在の東北大学史料館)が完成し、法文学部の建物と廊下でつながりました。その後、廊下を外したため、その名残でこのように煉瓦の色に変化があるそうです。

 

さて文化財収蔵庫と東北大学史料館外観の次は、片平キャンパスの東西に続く大通りについて解説していただきました。この大通りは、創立25周年を迎える昭和初期に段階的に整備されていきます。この大通りを上から眺めるために、エクステンション教育研究棟の最上階へのぼりました。エクステンション教育研究棟は研究施設のため部外者は立ち入り禁止です。この日は「片平まつり」が開催されていたこともあり、一般公開されていいたため屋上までのぼることできました。

正門まで続く真っ直ぐなこの大通り。もともとこの通り上には旧仙台医学専門学校の校舎が建設されていましたが、大通りの整備に伴い、校舎が壊されたり、移築されたりしました。移築された建物のひとつが「魯迅の階段教室」(旧仙台医学専門学校六号教室)(※⑦)です。

大通りの変遷についてのお話を聞いたあとは、いよいよ「魯迅の階段教室」へ向かいます。

 

途中、旧制仙台医学専門学校博物・理化学教室(※⑥)を通りました。こちらは現在東北大学本部棟3として公開施設及び大学本部施設として利用されています。旧制仙台医学専門学校博物・理化学教室は、戦災や震災などを免れ、また25周年の記念事業の際にも影響を受けることなく、1904年の建設当時と同じ場所に佇む非常に貴重な建物です。

これまで見学してきた煉瓦造りの建物とは雰囲気が違い、一気に別の空間に来たように感じます。「魯迅の階段教室」までの期待も高まります。

ついに「魯迅の階段教室」です。

「魯迅の階段教室」は旧制仙台医学専門学校博物・理化学教室と同じく、木造平屋建ての白い下見板張が特徴的な建物です。

こちら建物保存から一般公開されていませんが、今回は特別に入室しました(火・木曜日限定、見学事前申込制、学術目的のみ見学可という条件付きで見学することができます)。

「魯迅の階段教室」は、「近代中国の父」である文学者・思想家の魯迅が学んだ場所として知られています。

 

▲参加者のみなさんも、滅多に入れない施設とあってか、とても感激した様子でした。

魯迅は旧制仙台医学専門学校で医学を学んでいました。この教室で見た日露戦争時の中国民衆を捉えたスライド写真に衝撃を受けたことで、「医学で人を救うのではなく、精神から改革することによって人々は救える」と考え文学への転身を決意したといわれています。現在でも彼が医学に励んでいた当時の面影を残す貴重な建物として、また国境を越えた歴史的な遺産として保存されています。

 

▲魯迅は中央前から3番目の席に座り講義を聞いていたと言われています。中国の要人が来訪すると、この席に座るそうです。

一部を除いて、今回ご紹介いただいた資料・建物は片平キャンパスで一般に公開されているものばかり。「片平に住んでいながら、建物の中には入る機会がなかった」というアンケートの声もありましたが、片平キャンパス自体は広く市民のみなさまに開放されています。地域のみなさんにも大学が持つ歴史的な資料・建物などを身近に感じてもらいたいという強い想いを加藤先生から感じられました。

今回のツアーを通して、様々な学校が包括されて現在の東北大学を形作っていることを知りました。また歴史的な建物をただ残しておくだけではなく、活用しながら、保全しながら次世代へ残し続けようとする姿勢も学びました。

2017年に110周年を迎えた片平キャンパス。都市景観大賞受賞や登録有形文化財への答申など、ますます発展すること間違いなし。2018年も東北大学史料館をはじめ、片平キャンパスの動向を見逃せません。

みなさま、「大学施設だから…」と遠慮せず、これを機に片平キャンパスを訪れてみてはいかがでしょうか。

 

▲当日参加者のみなさんに配布した旅のしおりを片手に、片平キャンパスを散策してみてください。

(事務局・今野)

 

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