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SMMA東日本大震災 ミュージアム被災と復旧レポート
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SMMA見験楽学ツアー⑩7年目の被災地をめぐるバスツアー—石巻日和山公園・大川小学校旧校舎—レポート

ミュージアムの専門家の視点から、仙台・宮城の知られざる魅力を探るツアー企画「SMMA見験楽学ツアー」。2018年2月24日(土)に実施した第10回は、7年目を迎える被災地の状況について改めて理解を深める内容のツアーとなりました。まず地下鉄東西線荒井駅にある「せんだい3.11メモリアル交流館」を訪れ、次に石巻市へ向かい、震災の語り継ぎや防災プログラムを通じてまちづくりに取り組む「公益社団法人みらいサポート石巻」さんの案内のもと石巻日和山公園・大川小学校旧校舎を巡りました。

今回のバスツアーの焦点は、2つの「日和山」と、震災遺構になった2つの小学校です。仙台市と石巻市には共通して「日和山」があり、そしてそれぞれ荒浜小学校、大川小学校という震災遺構になった小学校があります。

旅のスタートはせんだい3.11メモリアル交流館から。「日本最低峰、蒲生の日和山の標高は3.0m。国土地理院に認定されている山の中で最も低い山です。」とご説明しました。

災害危険区域に指定された蒲生に住むことは難しくなりましたが、毎年7月1日、富士山と同じ日に山開きが行われています。蒲生に住んでいた人々が再会できる場、地域の心の拠り所として、現在も愛され続けています。

 

続いて荒浜小学校についてご説明しました。2017年4月30日に震災遺構として新たな役割を担い始めた校舎ですが、2011年3月11日にはこの校舎に避難した320名の命を救った施設として、また800世帯あった集落の中で、津波を耐えて残った数少ない建物として、当時の姿を留めています。荒浜地区もまた災害危険区域に指定されましたが、地域の交流を絶やさぬために今なお活動を続けている地元の方もいらっしゃいます。

▼4月22日(日)まで企画展「結〜消防・命のプロが見た東日本大震災」を開催しています。

 

 

 

いよいよ石巻に向けてバスは出発です。

 

最初の到着地は、(公社)みらいサポート石巻が運営されている「震災伝承スペースつなぐ館」。

スタッフの藤間さんに迎え入れていただき、続いて石巻市街地のまち歩きをご案内いただく佐藤さんをご紹介いただきました。一同、タブレットを手にいざ町へ!

 

▲みらいサポート石巻の藤間さん(写真左)、佐藤さん(写真右)。

 

 

 

 

自分たちが今いる場所の震災直後の状況を、タブレットの画像を通じて感じながら歩くという貴重な体験をしました。我々スタッフが2ヶ月前に下見をした時からまた新しい建物ができたり、堤防の工事が進んでいたりと景色が変わっており、石巻の町が今も大きく動いていることを感じます。以前は工事中で入れなかった旧北上川の堤防に上り、石ノ森萬画館のある中瀬を眺めながら、佐藤さんが「石巻と言えばこの中瀬を望む風景が有名で、このあたりの地区の景観を私たちは大切に考えています」と説明してくださいました。風景が、その土地に暮らす人のアイデンティティを支えている事が感じられました。

 

 

昼食は、昨年6月30日にオープンした「いしのまき元気いちば」へ。

 

こちらのマネージャーのお話では、この市場の目的の1つに、販路を失った漁業者の生活を支えることもあるのだそう。ありがたくおいしくいただきました。

 

▲昼食の海鮮丼(写真左)と金華サバ定食(写真右)。

午後は、いよいよ日和山公園へ向かいます。細い坂道を上って行くと、その頂上付近に公園と鹿島御児神社があります。現地案内は同じくみらいサポート石巻の高橋さんにバトンタッチ。

▲車中案内していただいたみらいサポート石巻の高橋さん。

この日和山公園から南浜、石巻港を望む景色も、ザ・石巻といえる有名な風景です。「私もそうでしたが、石巻で七五三といえばこの鹿島御児神社なんです」とおっしゃる高橋さん。こちらの日和山公園には、2011年の震災のとき、地震の後多くの地元の方が避難してきたそうです。こちらの日和山もまた、地域の大切なシンボルになっていることを感じました。

 

 

 

日和山公園を後にしたバスは、最後の目的地、大川小学校旧校舎へ向かいます。途中、野球場のグラウンドに現在も人が住んでいる仮設住宅の横を通りました。「当初2年間の暮らしを想定してつくられた仮設住宅の暮らしが、もう7年になります」との高橋さんの説明。またこの日、大川小学校の閉校式があり、二俣小学校の敷地内に建てられた現在の大川小学校のプレハブ校舎の脇も通り抜けて、バスは大川地区を目指します。しだいに目的地に近づく中で高橋さんから、長面地区にあるご自宅にいる家族を迎えに震災直後この道を自家用車で走った事、無事を祈って走ったけれど、倒木や橋の崩落で思うように進めなかった事など、当時の状況が語られました。「大川小の子どもの保護者と一緒に、私は少し内陸の避難所にいたんです。小学生は無事だと聞いていました。そのうち大川小学校の父兄の方は入口まで来てください、という放送があり、しばらくして入口に集まった保護者の方から、泣き声や悲鳴や叫び声が聞こえたんです。戻ってきたのは、泥だらけのランドセルやお道具箱でした。」というお話が耳に残ります。

 

バスは最終目的地、大川小学校跡地に到着。校舎の周りには、強い風が吹いていました。ここからは、みらいサポート石巻の理事であり、大川伝承の会代表の鈴木さんにご案内いただきます。

 

▲大川伝承の会の鈴木さん。

 

 

この学校に通っていた当時6年生の娘さんを亡くした鈴木さんは、強風の中でも参加者全員に届く声で様々な説明をしてくれました。まるで「子どもたちはもっと寒い思いをしたのだから」と言っているような姿勢です。学校の先生個人を責めるつもりはなく、組織としての学校の危機管理のあり方を見つめ直して欲しい、この悲劇を再び繰り返さないために、というメッセージを受け取りました。

 

石巻の案内人の方々の声、表情、姿勢を見ていると、内に秘めた熱い心の灯火を垣間見たように思います。私は同じ震災のメモリアル施設のスタッフとして、学ぶ事の多い機会となりました。参加者の皆さんは、どのように感じられたのでしょうか。

仙台と石巻、震災から同じ年月が経ちますが、時間の流れは全く違うのだということを肌で感じた1日となりました。もうすぐまた新たな3月11日がやってきます。便利な生活が戻れば、切実に何かを考えることは難しいかもしれません。失われた命の尊さを改めて思いながら、もう一度自分の足元を見つめようと考えさせられる今回のバスツアーでした。

▲当日、参加者のみなさんにお渡しした旅のしおりです。

(文:せんだい3.11メモリアル交流館 飯川)

 

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