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コラム
シリーズ人Vol.5 玉蟲左太夫(仙台市博物館)

SMMA参加館の学芸員をはじめ現場スタッフによるとっておきの情報や、地域のミュージアムならではの旬な情報をお伝えする情報誌「旬の見験楽学便」
そのなかのSMMA参加館にゆかりのある人物にせまる特集「シリーズ人」から、第5回は、 仙台市博物館より玉蟲左太夫についてご紹介します。

玉蟲左太夫(1823~1869)

▲玉蟲左太夫画像(仙台市博物館蔵)
仙台藩士・玉蟲伸茂の7男として、北五番丁で誕生。13歳で養子となるが、学問を志して24歳の時に江戸へ。幕府の儒学者である林復斎(はやし ふくさい)の私塾へ入った後、仙台藩江戸藩邸の学問所・順造館の講師に迎えられた。戊辰戦争では東北諸藩をまわり、奥羽越列藩同盟の成立に尽力。仙台藩の降伏後捕らえられ、牢前で切腹を命じられる。

 

独自の観察眼が光る 仙台藩のジャーナリスト
2018年は戊辰戦争から150年を迎える節目の年。戊辰戦争中に仙台藩の窓口として他藩と交流し、列藩同盟の議事をとりまとめた中心人物が玉蟲左太夫です。玉蟲を語るうえで注目したいのが、そのジャーナリズム精神。安政4(1857)年に幕府の箱館奉行・堀利煕(ほり としひろ)に記録係として随行し蝦夷地を巡見した記録『入北記(にゅうほくき)』では行程や蝦夷地の地理、文化・風俗から自らの体験に至るまでを克明に記録しています。時には現地役人により蔑まれていたアイヌ民族の支配実態などを記して批判することも。先入観ではなく、自分の価値観で著した記録が評価され、万延元(1860)年の渡米へとつながりました。

 

世界を見つめた藩士
日米修好通商条約の批准のために幕府使節団に随従して渡米し世界一周した際は、持ち前の行動力で工業や政治などに見聞を広め、文化施設なども可能な限り見学して『航米日録(こうべいにちろく)』を執筆。自然や船中でビールを飲んだエピソードまでも記した記録は、数ある遣米使節記の中でも高く評価されています。世界を見たことで、国内の分裂をさけて国力を高めるべきという想いをもった玉蟲でしたが、戊辰戦争の渦中へと身を投じることとなり、藩の降伏後は牢獄へ。しかしながら、牢中においても探求心を捨てず、密かに家族と手紙を交わして世間の情報を集め続け、その生きざまを最期まで貫きました。仙台市博物館では2018年10月26日(金)から12月9日(日)まで特別展「戊辰戦争150年」を開催しました。奥羽越列藩同盟を中心に、東北地方の戊辰戦争の関係資料が一堂に会した特別展の図録は、現在も仙台市博物館で販売中。また、没後150年にあたる2019年は6月23日まで常設展で「玉蟲左太夫と若生文十郎」と題してコーナー展示を開催しておりますので、仙台市博物館で玉蟲が駆け抜けた幕末の仙台の歴史を見つめてみてください。


▲航米日録(仙台市博物館蔵)

 

※このコラムは2018年7月20日発行の「旬の見験楽学便」に掲載されたものに加筆したものです。

※仙台市博物館の情報はこちら

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