各館の出来事

福島美術館

1980 (昭和55)年6月 開館

宮城県仙台市若林区土樋288-2

ヒアリング調査:2013/03/06

ホームページ

面 積 敷地面積:1,953㎡
建築面積:198㎡
延床面積:789㎡
構 造 鉄筋コンクリート造
規 模 地上4階
年間来館者数 平成21年度 1,974人
平成22年度 1,909人
平成23年度 0人
平成24年度 1,106人

震災の被害について

建物の被害

  • 北側壁面に亀裂
  • ドアの開閉が困難
  • 雨漏り

人的な被害

なし

資料等の被害

収蔵棚の移動、展示物の転倒

施設管理に関するヒアリング調査まとめ

震災発生当日の様子

来館者:7名
職員数:職員 2 名 サポーター1 名 計3名
合計10名

震災発生当日の施設閉鎖までの経緯

発災直後 職員2名とサポーター1名に分かれ、職員は4階貸室で来館者の安否を確認、サポーターは1階で待機。
15:30 来館者全員帰宅
16:30 施設に施錠しスタッフ全員帰宅

避難時において、困った点

ドアの開閉が困難な部屋があった。

震災直後の様子 3月12日~3月末日までの期間

15日から25日までは午前勤務。

13日
14日 

15日 

16日 
24日
25日
スタッフ1名が施設のブレーカーを下げるため出勤
スタッフ1名がセキュリティをリセットするため出勤
その際館長に近況報告
サポーター7名の安否確認終了
収蔵室の被害状況を記録
電気、空調業者が点検のため来館
館長が現場確認のため来館
常設展示の掛け軸を撤収
資料の避難優先順位を検討開始する

地震発生当日に普段の用途と変えて使用した部分

基本的には休館。用途変更はなし(古い建物のため、建物の安全が確認できないため)。

施設再開まで

4月5日 建物診断のため業者来館(診断を依頼していたが、民間という理由で対応に時間がかかった)。

再開までのスケジュール決定経緯、判断基準

  • 私立ミュージアムのため、施設運営者の判断が基本となる
  • 施設改修費用の捻出が難しく、改修し再開するという決定がなかなかできなかった
  • 具体的な再開へのスケジュールが決まらなかったので、実際に出来る作業は限られていたことと、それらの状況を打開するための具体的な方法が無く困っていた
  • 2011年10月頃、宮城県のミュージアム関係の集まりがあり、そこで福島美術館の状況などを伝える機会があり、それ以降様々な人がつながるなど、情報や支援などが来るようになり、施設を再開することが現実化していった
  • 実際に宮城県などの対応により、施設改修の補助がもらえることになったが、具体的なアクセス方法や窓口等がわからず、そこに至るプロセスまでに時間を要した
  • 4月に工事日程が決定。「七福絵はがき募金」による第1回目の寄付を頂いた12月19日に再開するため、逆算しながら再開までのスケジュールを決定した

改修工事以外の復旧業務

  • 資料の整理
     資料を移動する優先順位を作成した(1、伊達家関連資料 2、優品図録掲載資料など)。
  • 七福絵はがきの作成
     修繕及び再開にあたり必要な資金(修繕費の積算が約1000万円(宮城県からの補助は約1/3))の寄付を関係者や広く市民の方々にお願いした。寄付を頂いた方に、そのお礼を兼ねて、美術館の収蔵作品から「おめでたい・幸せ・ゲンキ・絆」のメッセージを載せた7作品を選び、絵葉書を作成した。関係者やマスコミなどに取り上げられ、募金とともに七福絵はがき自体が広く知られるようになり、多くの寄付につながった。

復旧支援など、協力者の来訪

  • 4~5月、梱包資材が全く入手できなかった時期に、サイトで被害状況を知った関西方面の関係者から梱包資材の提供を受けた
  • 具体的な情報提供については、宮城学院女子大学の井上先生に尽力いただき、研究室の学生9名
    (週3日2~4名ずつ)に資料梱包作業などに関わって頂いた
  • 井上先生の呼びかけで、震災関係のシンポジウムで福島美術館の状況を報告する機会を頂き、そこから 様々な支援の輪が広がった
  • 7月10日から東北芸術工科大学の学生に博物館実習として資料の梱包整理を手伝ってもらった

施設閉鎖中の震災前に利用していた市民や活動団体との連絡

七福絵はがきの販売などにより、多くの方から寄付金を頂いた。

施設再開後

施設貸出に際する留意・確認点

以前に増して、展示品の固定の仕方や収納などには気をつけるようになった。

利用状況で変化した点

七福絵はがき等によって福島美術館を知り、来館してくれた方がいた。今回の七福絵はがきは、美術館と来館者をつなぐ有効な手段であると実感している。

事業・企画に関するヒアリング調査まとめ

地域との関係において震災前後で変わった(変えざるをえない)点

福島美術館の存在を知らない仙台市民が多いので、知名度を上げたい。七福絵はがきのプロジェクトがメディア等に取り上げられて、はじめて福島美術館の存在を知った方々もいた。

震災を経験したことによる他の施設から情報提供の打診など

震災を機に、鹽竈神社博物館、菅野美術館、瑞鳳殿、福島美術館の4館連携の集まりを行うようになった。具体的な事業企画というところまでは未だ難しいが、双方の情報交換や一部作品の貸出などのことを具体化させつつある。

今後想定されている課題

  • 私立美術館であるため、積極的にネットワークに参加したり、情報を集めたりしなければならない
  • 既存のミュージアム関係のネットワークは、公共のミュージアムを前提としており、その枠の中で様々な情報や具体的な事業などが、企画・実施されている。しかし、そのネットワークの外側にある私立ミュージアムは取り残される可能性が高い。実際に福島美術館は一時期まではそのような状況であった。また、現在でもそのような状況にある私立の特に小規模なミュージアムは存在しているかもしれない

→地域のミュージアムという点では、私立も公共も関係なく、そこに住む市民の人からはどちらも重要な存在だとすれば、それらのネットワークの在り方を考えていく必要がある。