

[テーマ]
洲之内徹をめぐって
[日時]
2010年2月7日(日)13:30~15:00
[会場]
宮城県美術館講堂
[出演]
佐伯一麦(作家)
有川幾夫(宮城県美術館副館長)
赤間亜生(仙台文学館学芸室長)
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- 赤間
- 今日は美術と文学をテーマとしたクロストークということで、宮城県美術館が所蔵している洲之内徹(1913-87。愛媛県出身。東京美術学校、現、東京芸術大学建築科を中退。1938年、中国で軍の諜報活動に従事。戦後小説を書き始めた)コレクションに触れながら、作家の佐伯一麦さんと宮城県美術館の有川さんと一緒に語っていきたいと思います。
まずは、洲之内徹コレクションとはどんなものか、洲之内徹とは、どんな人かといったところから始めましょう。 - 有川
- 宮城県美術館では洲之内徹コレクション146点を収蔵しています。このコレクションは、洲之内さんが生前にお集めになった作品をまとめているものです。
洲之内徹さんは、応召された戦地で田村泰次郎という作家と知り合いになりました。戦後、田村さんが「現代画廊」という画廊を始めた後に誘われてマネージャーとなり、田村さんがその画廊を手放した時に洲之内さんがそれを引き継いだのです。
「現代画廊」という名前ですが、田村さんは、現代的な新しい画廊を運営するんだということを考えていたんだと思うのですが、洲之内さんはそうではなくて、むしろ日本の近代の絵画、あるいは自分たちの同時代の絵画の中でも、先端的なものよりは、洲之内さんの好みにあったものを並べたりしていたんですね。
コレクションは、大きく分けると2つのグループがあります。
一つは松本竣介とか萬鉄五郎とか、戦後になって改めて評価されるようになった画家たちです。今では、どこの美術館でも収蔵品として出しているような作品ですが、戦後に評価されるようになった画家たちで、その評価の一端を洲之内さんも担ったという面があります。例えば、昭和26年に神奈川県立近代美術館ができまして、さかんにそういった画家たちを取り上げて展覧会を行ったのですが、館長だった土方定一さんとも洲之内さんは懇意にしていました。そういう意味で、初期の洲之内コレクションの作品は、今となっては、美術館でもなかなか手が出ない作品ですが、当時は洲之内さんが入手できた時代だったんですね。
もう一つのグループは、「現代画廊」で洲之内さんが集めた画家たちの作品です。集めたというと、洲之内さんがコレクションして集めたような感じがしますが、どちらかといえば手放さずにというか、手放せずにというか、大森の4畳半のアパートの押入れにずっとしまっていたという作品です。
前者については土方定一さんに売れといわれても断り、「画廊なのになぜ売らないんだ」といって喧嘩になったという話も聞きます。そんなこんなで、洲之内さんが亡くなったときに、洲之内さんの手元にあった作品ということです。
洲之内さんが亡くなった後に、ご遺族が、バラバラになるのが忍びないと考えていらっしゃった。宮城県美術館は何の縁もないのですが、一人の人間が集めたものが後世に残るというのはやはり良いことであろう、松本竣介や萬鉄五郎だけが抜き出されて大きな美術館に入るよりも、コレクション全体として、洲之内さんの息遣いが残るようになればいいなと思って、お引き受けしたというのが経緯です。 - 赤間
- 私は仙台出身で、宮城県美術館といえば洲之内コレクションという認識を持っていましたが、洲之内コレクションの経緯や概要については初めて伺いました。
次に佐伯さんにお話いただきます。仙台文学館では、「芥川賞をとらなかった名作たち」というテーマで佐伯さんの読書会を継続して開催しています。その内容の一部は、そのままのタイトルで朝日新書から1冊の本にまとまって出版されています。実は、洲之内徹も芥川賞候補に挙がったけれど、結局は受賞はできなかった作家でして、『棗の木の下』という作品をその本の中で取り上げているという経緯があります。
宮城県美術館に何度も足を運んでいらして思い出もおありということですので、作家・洲之内徹について、また、コレクションについて、お話しいただければと思います。 - 佐伯
- 宮城県美術館には洲之内コレクションがあり、常設にも何点か展示されていて、東京の編集者や作家仲間に、仙台で洲之内コレクションをやっているよな、といわれることが結構あります。洲之内コレクションがあるということは、僕の、仙台に住んでいて喜ばしいことの5つくらいのうちの確実に一つには入るかなぁという気がします。
宮城県美術館は1981年11月3日のオープンということですので、当時、私は22歳。18歳で東京に出ましたので、オープンのときには来れませんでした。いまでは、仙台に戻ってきて16年ほどになりますが、折あるごとに足を運んでいます。
宮城県美術館の建物は、前川國男さんという新潟市出身の建築家の作品です。前川さんはル・コルビュジェの影響を受けて建築をした人で、コルビュジェが提唱したピロティという建築物の概念を取り入れて、この建物にもピロティをつくりました。柱があって天井があって、雨宿りをするのにちょうどいいようなものといえばいいでしょうかね。
2008年、僕は『ピロティ』(集英社)という本を出したんですが、宮城県美術館は、建物としても僕にとっては興味深いものであるんですね。絵を見て疲れたら、中庭に面したレストランでワインかビールを飲みながらおいしい食事をいただく。それも、ここに来る楽しみの一つになっています。その楽しみの中心に、洲之内コレクションがあるということなんです。
今回のクロストークということでいえば、洲之内さんの作品は文学と絵画、美術にあい渡っているということは言えると思います。洲之内さん自身は絵を描いていないと思うのですが、美術評論、美術エッセイで、美術と文学にあい渡った人で、クロストークとしては格好な人物ではないかと思います。僕は主に文学ということから、最初は小説家であり、60歳を過ぎてから『芸術新潮』で「きまぐれ美術館」の連載を始め、洲之内さん一流の、独特の美術エッセイのジャンルを確立したといった側面について話ができればいいかなと思っています。 - 洲之内コレクションももちろんですが、ほかにもいろいろと良いコレクションがあります。中でも好きなのは、李禹煥(リ・ウーファン)さんという韓国出身の画家です(1936-)。韓国から日本に来て、日大の哲学を出て、多摩美術大学で教えたりした方ですが、この方は、石を用いた彫刻や版画を制作しています。<<線より>>(1980年)という、習字の線をいっぱい書いたような表現の作品が、こちらにあります。この方の版画はいつか買いたいと思っているのですが、なかなか手が出なくて・・・。
この李禹煥さんも、洲之内さんに勝るとも劣らず、両ジャンルにあい渡った人なのです。美術エッセイも詩もとてもいいもので、心がやわになったような時にこの人の表現に触れると、背筋がピンと伸びるというような表現をする人です。一つだけ、『描くこと』という好きな詩を紹介しましょう。洲之内さんの世界にも多分、重なってくるようなところがあるのではないかなと感じている作品です。 - 描くこと
僕が絵を思いついたからといって、絵が僕である訳ではない
絵が僕の手を借りたからといって、僕が絵である訳ではない僕が絵を描いていると、いつの間にか絵が僕に描かせている。再び僕が絵を描くのだが、そのうち気がついてみるとまた絵が僕に描かせている。
僕と絵の間に、何かが行ったり来たりしているようだ。僕が意識して絵を描いたり、あるいは逆に絵に委せて描いてしまうと、この何かが働かなくなる。
作品が不思議な力に充ちたものに見えるのは、大抵僕と絵が張り合ったものだ。このテンションとバランスの何かが僕を画家に仕立てる。
(李禹煥『立ちどまって』書肆山田所収)
- 絵と作者というものの微妙なバランス、緊張関係、テンションというものについて触れた詩かと思うんですね。絵に何が描かれているか、絵の背後にどういう力が働いているか。ものを見抜く力というものは、洲之内さんの美術エッセイの中にもあったのではないか、という思いもありましたので、紹介させてもらいました。
- 赤間
- 詩の朗読までしていただき、ありがとうございました。今日の大きなテーマは美術と文学という、違う分野のようでありながら、そこで切り結ぶ接点について語るというものです。そのポイントを語ったような詩ですね。
では、洲之内コレクションの絵などを具体的に見ながら、お話を深めていただきましょう。
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- 有川
- この写真は、洲之内さんの大森のアパートです。みかん箱か何かが机なんですよ。本当に狭いところで、絵は押入れに入っているんです。
洲之内さんは、松田正平さんという画家のアトリエについておもしろいことを言っています。(はっきり覚えていないので間違えていたらごめんなさいですが)「雑然としているが、汚らしくはない」と。洲之内さんのところもそうなんですよ。ゴチャゴチャしているんだけど、洲之内さんの一つの世界で、狭いということは逆にジェット戦闘機のコックピットかなんかみたいな感じです。洲之内さんにはこの狭さがいいのかなとも思いますが、これが洲之内さんのおうちです。 - 佐伯
-
靉光<<鳥>> 1940年茶碗があるよね、茶碗が2つくらい。そして急須があって、その向こうにネスカフェの瓶があって、その脇に角瓶のウィスキーだと思うけどがあってね。配置がちゃんと決まっているみたいで、ただ雑然と置いているだけじゃ多分ないんだね。中野重治という作家の机の上もこんな感じなんですが、雑然としているように見えるんだけれども、本当は整然としている、本人の意識の中ではね。多分、目が見えなくなっても、ちゃんとここにこれがあるって分かるという、非常に意識的な配置の仕方だなと思うんですね。
コレクションは、まずは靉光の<<鳥>>(1940年)と鳥海青児の<<うずら>>(1929年)から見ていきましょう。両方とも、鳥の死骸なんだけれども、そういったところに「美」といっていいのかどうかは分からないけれども、ある鑑賞するに足りるものを感じ取っているといった作品ですね。こういうものへの嗜好は、中国戦線に行き、戦争の中で多くの死を見てきたという洲之内さんの生涯にも関わってくるようなものではないかと思います。
仏教の修行の一つに、不浄観というのがあります。不浄というのはご不浄の不浄ですね。死体がどんどん腐乱していくのをずっと見つめていって、ある一つの悟りが開けていく。日本の中世の美術の中にもある表現ですが、近現代の文学者の中では例えば川端康成の作品にも見られます。『十六歳の日記』という処女作の中で、川端康成はおじいさんが亡くなることを綿密に描いています。あの人は女性を清らかに描いたということになっていますが、そのもとにあるのが、死体をずっと見つめていたといった不浄観であり、そこからエロスという表現が生まれていったのかと思います。洲之内さんが感じ取っている表現というものも、ある種、そのような不浄観というものに裏打ちされているということを、僕はこういう作品から感じ取るんですね。 - 佐伯
- これと対照的な絵が、海老原喜之助さんの<<ポアソニエール>>(1935年)。
- 有川
- 「魚を売る女の人」ですね。
- 佐伯
- 僕も非常に好きな絵ではありますが、洲之内さんは、この絵から、ある幸福感、幸せな感情を呼び起こされるというようなことを書いています。初めは複製で見て、中国戦線に従軍していたときに絵を見て、非常に強い印象を受けたと。先に述べた不浄観が支配しているような戦地で、至福感というのかな、幸せな感覚をこの絵の中に見たのではないかなと思うわけですね。この絵を見て、ただ単にきれいな絵だな、きれいな女性を描いた絵だなといったことではなくて、特定の状況にいる関係性の中で見えたということなのかな、という気がします。洲之内さんにしては少し大げさな言い方をしているかもしれませんが。
余談ですけれども、江藤淳という批評家がいます。アメリカに2年間留学して、日本文学を教えに行っていた時代、一時帰国で日本に帰国したときに、海老原さんの戦前の作品の個展を三越でやっていたのを見て、涙が出たというふうに書いています。確かに、何かそういうところを感じさせる絵ではないかなと思うんですが、有川さんはいかがですか。 - 有川
- 非常に良くできていると思います。全体がブルーなんですね。例えば萬鉄五郎ですと、赤と緑を激しく対立させているんですが、この作品は、小さな作品の中にブルーからちょっと緑がかった色までさまざまな階調が非常にうまく配置されている。筆のタッチが厚みのあるタッチですけれども、薄塗りのところもあり、しかも色のムラなんかもありますでしょう。そうすると、抑揚とか、そういった意味を伝えるだけではなくて、語りかけるような、見る人に、この絵の前で時間を過ごさせるような何かが、わざとらしくなく描き出されている。例えば、光の部分と、影の部分とがあって、明るくて、暗くてといった表現になっていますでしょう。これだって、実際にこう見えたのか、誇張なのか、絵画的な粉飾なのか分かりませんけれども、そういう抑揚というか、メリハリというか、言葉のリズムのようなものがありますね。この小さな作品の中に、そういういろいろなニュアンスが静かに息づいている、それを洲之内さんが捕らえたんじゃないかなと思います。
- 佐伯
- 会場から向かって右側、女性にとっては左側の肩にショールというか、白い布が乗っかっているこの感じがね、伸びやかな筆の軌跡が残っていて、うまいなぁって思いますね。本当は不安定な感じもあるんだけれども、しかしそれがある安定感を持っているというのかな。中国戦線へ行って、諜報部員というスパイまがいのことをやっていたりして、人間に不信感というか、そういったものの中で生活している中で洲之内さんは、この絵を見て、この絵が持っている信頼感というか、安定感というか、それに惹かれたんだろうなという気がしますね。
- 有川
- これは、洲之内コレクションの中で、比較的にエピソードの多い絵ですね。
洲之内さんは戦地で諜報活動をしていましたので、いろいろと人に語れないような活動を含めた仕事もしていました。心が荒むと、この絵(画集だったんでしょうかね)を持っている友人のところに見に行ったんですって。そうすると何か安らぐみたいな・・・。
その後、引き上げてきて松山で古本屋をやっているときに、たまたま、この複製が自分の手元にやってきて、それを飾っていたんですね。そして「現代画廊」に勤めていた時に、原敬の息子さんのところでこの絵を見つけました。譲ってくれと再三頼んだんだけれど、だめだった。しかし、ある時、譲ってもいいということになって、気が変わっちゃ大変だということで、土砂降りだったそうですが、レインコートにくるんでその場で即、持ってきたと。
また、別の本では、青いスッとした女の人の絵を見たんだけれども、本の名前も絵の名前も何にも覚えていないんだがといって訪ねてきた女性がいると書いています。
洲之内さんのエッセイって、その場、その場の日々の感想をエッセイとして書いたということもあるのですが、全体としてみると、例えば、いろいろの絵が洲之内さんの人生の中の一つのキーワードのようになって書かれているようにも読めます。そういう意味では、小さな鍵が洲之内さんのたくさんのエッセイの中にさりげなくつながっているのかなぁと、この絵を見ると思いますね。 - 佐伯
- なるほどね。偶然というのも宿命とする、心然とするのが芸術家の道ではあるんだけれども、そういうことは感じさせますね。
洲之内さんは、絵の評価基準について、盗んででも欲しいと思う絵が自分にとっては最上だと言っています。靉光とか、<<うずら>>でもそうですけれども、手に入れたいという思いがあって、巡り巡ってくるというのも、執念なんじゃないかな。
エッセイの話で思い出したことがあるんですが、エッセイというのは私の説明のようなものだと、洲之内さん自身がおっしゃっています。洲之内さんは、最初は小説を書いていて、中国戦線の自分の体験に基づいた『棗の木の下』『砂』などの作品が3回か4回、芥川賞の有力候補になりながら落ちたんですね。それで小説から離れて、60歳を過ぎてから美術エッセイに転じたわけですが、エッセイは洲之内さんの私小説だというふうに僕は思うんですね。エッセイで初めて、洲之内さんらしい「私」の表現が確立したのではないかなという気がします。 -
伊丹万作<<祖母の像>>1922年
次は、伊丹万作さんの<<祖母の像>>です。洲之内さんは愛媛県松山の生まれですから、万作さんと同郷ですね。
伊丹十三さんというのは俳優であり、映画監督もした人なんですが、伊丹万作の息子です。やはり、洲之内さんは松山の人との交流が深かったのでしょうね。
皆さんと一緒に楽しみたい絵としては、長谷川潾二郎さんの<<猫>>がいいかな。印刷物にするとこの赤の色が出ないので、結構大変だというふうにも聞いているんですが・・・。 - 有川
- 非常に緻密な作品で、ひげが片方しかないというのでエピソードになっていますね。宮城県美術館では今年の秋に長谷川潾二郎の展覧会を開きますので、是非お越しください。
- 佐伯
- これは図録などにも出ていて有名な話ですが、洲之内さんが「もう絵ができているんだからください」と言ったら、長谷川さんは「まだ猫のひげができていない」と言う。猫がこんな形で丸まるのは年に春と秋の2回かしかなくて、ひげがちょうどそういう形にならないと描けないんだからとか言ったというのですね。本当か嘘か分かりませんが、大変時間がかかって描いてもらったというふうに書いてあります。
- 有川
- 実はもう1匹猫の作品があるんですけれど、それは両方ともひげがありません。雷に驚いて飛び込んできたときに、ちょうど雨戸に挟まって死んじゃったとかいったエピソードもあります。コレクションの中にはないのですが、秋の展覧会では展示しますのでご覧ください。
- 佐伯
- 構図としては、大胆といえば大胆ですね。
- 有川
- そうですね。参考までに、別の猫と比べさせてください。小泉八雲の息子(小泉清)が絵描きでして、猫の作品があります。それと比べると、長谷川潾二郎の特徴というのが際立っているのが分かっていただけるでしょうかね・・・。潾二郎は形が明晰というか、コリッとしていて、独特なものだと思いますね。

