見験楽学

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見験楽学イベント

第4回 東北人の食

第4回 東北人の食

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[テーマ]

東北人の食
[日時]
2010年1月24日(日)14:00~16:00
[会場]
せんだいメディアテーク7階スタジオa
[出演]
仙台市歴史民俗資料館・畑井洋樹学芸員
仙台市富沢遺跡保存館・佐藤祐輔学芸員
[司会]
中村かおり

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中村
司会進行を務めさせていただきますのは、私、中村かおりと申します。私ごとになってしまいますが、子どもが生まれてから改めて食というものに興味を持つようになりまして、「ジュニア・ベジタブル&フルーツマイスター」という野菜ソムリエの資格を取りました。今日は食に関するイベントということで、とても楽しみにして参りました。
 
まずは、それぞれの施設についての簡単な自己紹介からお願いしましょう。
畑井
仙台市歴史民俗資料館は、ご存知のように榴ヶ岡公園の中にあります。昔の陸軍の歩兵第4連隊の兵舎があった場所で、その兵舎を利用しています。この建物が明治7年の建築でして、木造の洋風建築としては宮城県で一番古い建物となっています。その経緯もあって戦争関係の資料を収集、保存し、また歴史民俗ということで明治時代以降の仙台の街の歴史、庶民の暮らしなどの資料を収集、保存し、後世に残していこうという資料館になっています。
 
1979年に開館して、2009年で30周年を迎えました。記念して市内各地で巡回の展示なども行っています。また、「職人づくし」という企画展を開催中で、仙台市内の職人さんの姿を紹介しています。
 
今日は、「東北人の食」ということで、明治以降、仙台に生きた人たちは何を食べていたのかということで、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
佐藤
「富沢遺跡保存館」というのは皆さんあまり聞き馴染みがないかもしれませんが、「地底の森ミュージアム」といえばご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は、富沢遺跡という旧石器時代の遺跡を保存している建物であり、地下に眠っていた遺跡を現地でそのまま保存し、公開しているということで、富沢遺跡保存館の地底の森ミュージアムなわけです。
 
遺跡からは、2万5千年から2万年前くらい前の埋没林という、旧石器時代の林の跡と一緒に、人間が暮らした痕跡が見つかりました。旧石器時代の環境とともに生活していた痕跡が残っていたということで、世界的に見てもとても珍しいものであり、その重要性から保存しようとなったわけです。地底の森ミュージアムの正門から入っていただくと分かるんですけれども、展示されているものは、この場所にあったものなのです。日本全国を見渡しても、その場所で保存、展示しているという施設はそれほど数はありません。
 
年4回ほど企画展を開催したり、石器づくりなど、旧石器時代の生活の技に触れてもらうイベントなども開いています。また、富沢遺跡は旧石器時代だけではなくて、弥生時代から古墳時代にかけての水田の跡が見つかった遺跡としても有名でして、それに関連づけて、近所の親子の方に参加していただいて古代米づくりも行っています。今日は、その古代米のお土産を皆さんにお配りしたいと思っています。
中村
お土産ということで、反応された方がいらっしゃいましたね。楽しみになさってください。
 
ところで私は仙台生まれ、仙台育ちなんですけれども、皆さんは仙台でいらっしゃいますか(挙手)。仙台生まれの方が4名いらっしゃいますね。今日は、仙台の食に関しても、どんなお話をうかがっていけるのか、非常に楽しみですね。
 
ちなみに、この仙台には、どのくらい前から人が住んでいたのでしょうか。
佐藤
80万年前くらいとの説もあったのですが、旧石器ねつ造といった事件もありまして、現在確実に言えるのは、富沢遺跡でいえば2万5千年前、古くても3万年前まではいかないといわれています。
中村
およそ2万年前には、この仙台にも人が住んでいたということなんですね。その頃の人たちは、では一体、何を食べていたのでしょうか。そこから、私たちの現代の食へと、どのように変化してきたのでしょうか。考古学の視点、そして歴史資料から、どんなことが分かるのか。時代をググッと遡って、タイムトリップしていきたいと思います。
 
はじめに、旧石器時代から参りましょうか。

1. 富沢遺跡から、2万年前の食へ

佐藤
私は、旧石器時代から奈良時代くらいまで、お話しできればと思っています。
 
ところで、旧石器時代というと、皆さんはどういうイメージを持っているでしょうか。
中村
私は「はじめ人間ギャートルズ」(園山俊二のマンガが1974年頃にアニメ化された)の、あのイメージなんですが(笑)。
佐藤
私はあまり見ていなくて(笑)。「懐かしアニメ」とかで見ると、恐竜とかが出てくるものでしたですね。
中村
えー、ここでジェネレーション・ギャップが出るとは思いませんでしたけど(笑)。マンモスとかが出てましたよね。文字が石になってババンと大きくなって、タイトルやセリフになっていくとか・・・。
佐藤
旧石器時代というと、皆さん、当時の人は骨のついた肉をムシャムシャ食べているようなイメージの方が多いと思うんです。ミュージアムには、富沢遺跡の発掘成果を基に細野修一さんという方が描いた復元画がありますが、イメージ通りの、ひげもじゃで、髪がぼさぼさです。たき火を囲み、肉を焼いている人、その周りで石器を作っている人、ウサギの肉を解体している人、槍を作っている人などがいて、後ろに小さく鹿さんが見える、といった絵になっています。
 
ちなみに、脳みその大きさは私たちと同じです。ですから知識のレベルは基本的に同じで、最初から学校に通わせたら、現代の人と同じくらいの知識を身につけられるでしょう。何が私たちと違うのかというと、家を持たずに、鹿などの動物を追い求めて旅に出かけ、その場で狩りをして、食事をする、というものです。つまり、基本的には狩りの生活です。主な食料としては大きい獣ではナウマンゾウ、中ぐらいの獣ではオオヅノジカなどを、大きな仕掛けを作って狩りをして、食べていたと考えられています。先ほどマンモスという話が出ましたけれども、マンモスは今のところ、あまり日本では発見されたことがありません。あまり毛が生えていないナウマンゾウなんですね。
 
では肉食中心だったのかといわれると、ここがなかなか、考古学では断定できないところなんですね。考古学が扱うのは遺跡ですが、食べ物というのは基本的には腐ってなくなってしまうので、食べ物が遺跡に残っていることは少なくて、直接に食べ物のことを知ることは難しいのです。私たちが手がかりにできるのは、石器とか土器に付いた痕跡です。石器というのは肉を解体するものですから、使用痕ができます。それを研究して分析すると、何を切っていたのかが分かる。そのようにして富沢遺跡の石器を調べてみたら、何か肉を切ったような跡があったということで、こういう復元画を描いていただいたわけです。
 
ですから主食が何なのかということは分からないわけです。大きなエネルギー源としては、こういった大きな獣が考えられますが、植物はどうなのか。チョウセンゴヨウとかコケモモなどが富沢遺跡から出てきていますから、そんなものを食べていたのではないかと推測されます。平均気温が7~8度も低い氷河期の時代ですから、周りの森にある植物も、今とは全然違います。チョウセンゴヨウなども、松ぼっくりみたいに大きなものです。けれども、他に何を食べていたのかというと、なかなか、分からないというのが旧石器時代の実態なんですね。
 
もう一つ、中学校の教科書から引っ張ってきた図がありますが、氷河期ということからでしょうか、なぜか雪の中で、集団で狩りをしています。中学校の教科書でもこういう感じかということで、ちょっと残念なんですけれども・・・
中村
残念だというのは、ちょっとオーバーな感じなんですか?
佐藤
いや、かなりオーバーだと思いますね(笑)。
畑井
佐藤さんの目からすると、どのへんがオーバーなんでしょうか。動物に跨ってるのがちょっと、とか(笑)。
中村
こんなに大人数ではないとか。
佐藤
そうですね。こんなに集団では狩りをしていなかったと思いますね。ナウマンゾウを狩る時などは集団だったかもしれないですけれど、東北で、こんなに集団で狩りをしていたという形跡は見つかっていません。せいぜい2~3人です。
 
この後、時代ごとの復元画をお見せしますが、復元画というものが、いかに皆さんに与えるイメージが大きいかということを知ってもらいたいと思います。
中村
男性が狩りをしていますが、それは合っているんですか?
佐藤
どうですか中村さん、もし狩りに行けと言われたら。
中村
もし、それしか方法がないのだったらやりますけど。
佐藤
実は、狩りをしていたのは男性だけなのかといったことも特定するのは難しいんです。地底の森ミュージアムの地下にスライド映像がありますが、その中の3人の登場人物は男性だけになっていて、「男性しか出てこないけれど、女性は何をやっていたのか」とよく質問されます。私が答えるのは、家がないので、どこかで待っていたのでしょうといったことなんですが・・・
中村
もしかしたらチョウセンゴヨウを取って、中から松の実を取っていたとか。
佐藤
女性は危険なことはしなかったのではないかとは推測されますし、いつの時代でもそうだと思いますけれど、定かではないんですね。
 
ところで、もう一つ、旧石器時代で面白いのは、遺跡から焼けた石がまとまって出てくるんですね。これは何なのか。おそらく焼けた石を使って、何か調理をしていたのではないかという風に考えられています。石というのはすごく保温性がありますから、1回焼いてしまうと、熱をずっと保っているんですね。で、その下に葉っぱでくるんだ肉とかを置いて蒸し焼きにしていたとか考えられているわけです。しかしこれも、食べ物自体が出てこないので、何を食べていたのかは分からない。いずれにしても、旧石器時代の食について語るのは難しいというのが現状ですね。
中村
蒸していたかもしれないし、生で食べていたかもしれないし。
佐藤
そうですね。一番難しいのは、生食していたかということなんですね。動物の肉だけを食べていたのだとしたら、塩分を摂取できません。生食なら、血液も食べられますし、栄養を摂るには一番いいんですね。
畑井
現代でも、イヌイットの人たちの生活では、生肉をそのまま食べたりとか、血液を固まらせて食べていたりとか、そういうのがありますよね。
佐藤
そうですね。植物も少ないし、他にエネルギー源となるものがないので、1頭狩ったものから最大限のエネルギーを引き出そうと。骨の中の骨髄とか、なんでも食べられる生食というのがいいんでしょうね。
畑井
考古学の世界では、骨に傷を付けたものが出てきたとか、何か証明できるものが見つかっているのでしょうか。
佐藤
旧石器時代は、なかなか難しいんですね。人間の骨さえ出てくるのが珍しくて、動物の骨が、特に日本では見つからないんですね。なので、どのように食べていたのかというと資料がない、分からないというのが現状です。
中村
地底の森ミュージアムの地下に保存してある遺跡には、たき火の跡であったり、鹿の糞などもありますね。
佐藤
ええ。鹿の糞も出ていますので、先ほどの復元画でも鹿さんがいるという設定になっていましたね。鹿の糞を顕微鏡で調べると、植物の花粉が入っていて、それを基にしてハシバミなどが生えていたという復元画になっているわけです。しかし、それを人間も食べていたのかは分からない。
中村
地底の森ミュージアムでは、見つかったものをそのまま展示しているだけではなくて、いろんな糞が並べてあって、この糞らしいものは何の糞なんだろう、小さくて丸くて鹿の糞と類似しているから鹿だろうというように推定していく過程が見られるという面白みがありますよね。
佐藤
考古学の博物館に行くと、土器などが、「すごいだろう」という風に展示してありますが、それだけではだめなんですね。発掘して出てきたものを基にして、見つけた考古学者がそれを研究し、何が分かったかということの展示が本当は大事なことなんですね。この土器にはこういう文様がありますよというだけでなく、そのあと、どういう文化があったのかへ進んでいくことが重要なんですね。
 
富沢遺跡には石器は100点くらいしかなくて、あまりものが出ていないんです。しかし、その少ない資料から、どれだけのことが言えるかということで、その研究過程を大事にしているので、そのようなところを気にして見ていただければありがたいですね。
中村
皆さん、復元映画『よみがえる2万年前のある日』というのを、ぜひご覧いただきたいと思います。最後にたき火のシーンが出てきて、「明日の獲物を夢見たのだろう」というナレーションが入るんですけども、そこに、旧石器時代の生活が集約されているような感じがします。
佐藤
そうですね。かっこよく言ってるんですけれど、実はよく分からないので、あとは皆さんの想像にお任せしますということなんですね。

2. 富沢遺跡から、縄文時代の食へ

中村
旧石器時代は、そこにある食べ物を食べるような、その日ぐらしの生活だったというわけですね。では、次の時代に行きましょうか。
佐藤
次は縄文時代に入ります。何が違うかといいますと、一つの場所に家を持つということが基本になるということです。これは、縄文時代の典型的な集落を復元したものです。
中村
家ができると、だいぶ違いますね。
佐藤
まず、住んでいる人間の数が違いますよね。20~30人くらいいますかね。今までのように、その日暮らしのことをしていたら20人も30人も養えません。ですので、計画的に食料を確保して、生活していかないといけないということになります。1つの場所に生活するということは、そういう覚悟がないとだめですから・・・。
 
もう1つは、土器が出てくるということです。旧石器時代には石器しか持っていませんでしたので、動物を調理しようとすると、焼くか、干すかくらいしかありませんでした。しかし、土器が出てくると、今でいう鍋ですので、煮たり、炊いたり、いろいろなことができるようになります。これが縄文時代の一番の特徴なんですね。
 
また縄文時代には、いわゆる氷河期の時代が終わり、だんだん暖かくなってきます。暖かくなってくると、周りの植物も変わってきます。縄文時代の復元画では、周りに広がっているのは、たぶん広葉樹なんですね。旧石器時代の復元画は、おそらく針葉樹です。針葉樹というのは多くのものは食べられないのに対して、広葉樹は、どんぐりとか栗の実とか、栃の実とか、見るからにうまそうなものが手に入るということになります。というわけで、縄文時代になると、主食が、植物になるんですね。これが大きな違いになります。
 
では、食べられるものが、遺跡からどのくらい出ているか。40種類以上は出てきていますので、旧石器時代から比べると、遥かに食べ物のバリエーションというものが増えています。
中村
どのような状態で出てくるんですか?
佐藤
出てくるのは殻とかですね。クルミの殻とか、ドングリの皮とかですが、それでさえ、普通の遺跡では出てこないです。水浸しの遺跡ですとか、残るのに条件のいい場所でないと残りませんから、そこももどかしいというのが考古学なんですね。
中村
ドングリやトチは生で、渋や灰汁も食べていたのですか。
佐藤
縄文時代の人も、最初からトチを食べたわけじゃなくて、処理の仕方を覚えていって、食べられそうだなと思ったところで皆が食べるようになったということなのじゃないでしょうか。
 
縄文時代というと、皆さんの遺跡のイメージは、たぶん貝塚じゃないでしょうか。貝塚というのは昔の人のゴミ捨て場ですよね。実は考古学では、生活の跡よりも、どちらかというとゴミ捨て場を掘って、昔の人の食べていたものを分析するということが大事なんです。というわけで一つの貝塚を掘ると、大きな貝塚ですと100トンくらいの貝殻が出てきます(笑)。しかし貝塚には、貝だけではなくて、魚の骨とかも出てきます。考古学者は、その骨を全部取って、一片一片、これは何の骨、何の骨と分析していくわけです。
中村
気の遠くなる話ですねえ。
佐藤
そのような作業をしないと、たとえばアサリとか、ハマグリとかの大きい貝殻を見つけて、昔の人はアサリとかハマグリとかばかり食べていたのだといった分析になってしまいます。とにかく全部分析してみて、昔の人はいろいろなものを食べていたということがようやく分かってくるわけです。
中村
明らかに太い骨の魚と明らかに細い骨の魚だったら、なんとか区別が付きますけれども、似たような魚の骨もいっぱいあるわけですよね。
佐藤
そうですね。これはもう考古学だけの世界ではなくて、動物学とか、魚を専門としているような方の力を借りなければできないことになりますね。
中村
顕微鏡の世界ですか。
佐藤
専門家は、小さい骨片でも分かりますから、顕微鏡まではいかないですね。
 
ところで、貝塚に貝殻を捨てていた縄文時代の人たちは、毎日、どのくらいの貝を食べていたと思いますか。
中村
低カロリーですからね、貝は。
佐藤
そうなんです。貝って実は低カロリーなんです。貝殻の中とかも小さいんですよね。それを1日でどのくらい食べていたかというと、たかが知れてるんです。1日でたぶん数個くらいしか食べていないと思うんです、その時代。貝塚を丁寧に調べてみると、そういう類推も出てくるんですね。
 
1日に、人間は大体2000キロカロリーくらいのエネルギー源が必要なんですが、じゃ あ、貝以外に何を食べてエネルギーを摂ろうとしていたのか。クルミとかトチでエネルギーを摂っていたというのが、20~30年くらい前から分かってきたことなんです。縄文人は貝ばかり食べていたとか、肉ばかり食べていたというイメージが、最近になってようやく覆されてきたということなんです。
 
中村
貝を食べれば鉄分とかミネラルは摂れるんでしょうけど、やっぱりバランスよく食べていかないと、人間の体というのは持ちませんからね。それで、いろいろなものを食べるということになると、当然、地域で食べるものというのは違うんでしょうね。
佐藤
はい。東北とくくれるかどうかは難しいところですが、食文化というのは地域によって違いが出てくるというのは確かなことです。
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